沿革  1960年代

1961年

一般の定着剤に比べ、5〜6倍の能力を備えた最新の製品である。
さらに、昭和39年頃には、名称変更した「シープドール」(高性能微粒子現像剤)と写真「製版用リスナール」(リスフィルム用現像剤)。昭和41年〜43年には、前述のヒット商品、スピードフィックスに匹敵する位の「新製品マイトーン」(高性能印画紙現像剤)と「クロトーン」(高性能硬調印画紙現像剤…主として写植印画紙用)を発売し、同時期発売の「製版用ラピッドフィクサーS」とともに、業績アップに大きく寄与した。

1961年

桜台研究所を開設する。

1962年

中外薬品工業(株)を設立。

1964年

1964年(昭和39年)の東京オリンピックを境に、テレビも写真もカラー化が大きく進展してそれと共に白黒写真を凌ぐ勢いとなっていった。フィルムメーカーの直営または系列の大型カラーラボが急速に増えて行ったが、やはりネガカラーフィルムの発売が大きな転機となったものと思われる。
当社もこれに対し、昭和40年に新たに草加工場を完成したうえに新規開発に努力し、カラーペーパー処理用キット(業務用…6液)を開発して、ユーザーの要求に素早く対応していったのである。白黒写真に色付けをする調色写真用調合薬「中外カラートニングキット」を発売したのも、カラー写真化の波の影響が大きいと思われる。

1965年

草加工場を完成する。

1967年

研究所を新築移転する。

1968年

現在地に本社ビルを新築する。(計50坪)

沿革写真

1961年旧家を改造し桜台研究所としてスタート

沿革写真

1965年墨田から草加へ工場を移転

沿革写真

1968年本社新築に多くのお得意先がお祝いに来社した

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